競馬小説書いたときの話

競馬小説書いたときの話

自己紹介の代わりに

 競馬が好きです。創作の原動力の1つに競馬があるという話をします。
 競馬により私史上最も長かったスランプから脱却して、1頭の競走馬のデビューからラストランまでを20万字かけて書ききりました。私にとって初めて公開している場で完結させた、初めての長編小説でした。
 これが、小説家になろうに掲載している、『ターフの上のシーグラス』という、地味な競馬小説です。

 社会人1年目、ほぼ丸1年、まとまった作品が書けませんでした。学生時代は定期的に、所属していた文藝部誌という作品発表の場がありましたが、それがなくなった社会人の今、創作のモチベーションや発表機会は自分で作っていかねばなりません。
 あの1年、本当にそのうち何も書けなくなってしまう、という焦燥感と、もう書かなくていいのではという、諦観のあいだでゆらゆらしていました。あの頃、ゆるやかに筆を折りつつあったように思います。
 競馬自体はその数年前、学生時代から好きでした。字書きであれば好きなものを題材にしたいし、競馬小説を書きたい、という願望とぼんやりした案はありました。
 あるきっかけがあり、社会人1年目の終わりに、本格的に創作に戻ろうと決意して、最初に着手したのが競馬小説だったと思います。
 書きはじめて2つのことを決めました。
 とにかく、最低でも月に1話はアップする。
 どんなに読まれなくても、何年かかっても、絶対に完結させる。

 競馬小説を本格的に書こう、そう決めたときにまず考えるのは、どんな馬を主役にするか、ということでした。
 GⅠを何勝もするほど強くなくていい、なんならGⅠを勝てなくてもいい。惜敗を繰り返して、応援する側からすればじれったいくらいなのに、応援せずにいられない。どこか自分と重ねてしまう部分がある。
 そんな馬を通して、競走馬が記憶に残る瞬間を描こう。競馬が好きな理由を物語にしよう。
 そう決めました。
 結果、固まった案を眺めれば、全て観客目線ゆえにスポ根かというとそうではない、ガチガチの現実現代ヒューマンドラマ、負けまくる主人(馬)公、視点が毎話変わる群像劇……まあWEB受けしない地味な作品にはなるな、と内心苦笑したことを覚えています。

 ですが、その案に対して、書けば絶対に面白いという確信はありました。少なくとも私は読みたい物語でした。そんな作品を完結させることが、ようやくスランプを抜け出しかけていた私にとって、意味があると思ったのでした。
 目に留まりにくい種類の作品、誰かに用意してもらえるわけではない〆切、それを毎月、結果20万字分。競馬への「好き」だけで完結まで突っ走ったことは、私にとって、確かな自信と安堵になりました。
 この競馬小説を見返すたび、たとえ誰に見つけてもらえなくても自分は書き続けることができる、と確信することができるのです。

 一定のリズムで書き、投稿する、という習慣を2年続けたおかげで、私はいよいよ創作に完全に戻ることができました。
 競馬がなければ、今頃どうなっていたことやら。何が背中を押すか、わからないものです。
 結果として、さまざまな機会や要因に恵まれて、この競馬小説は完結から時間が経ってから、じわじわ読んでいただくことができています。
 また競馬場で100円からできるお賽銭をしてこようかな、と思います。私にはご利益があったので。

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コメント

  1. 三可村 直希 三可村 直希

    はじめまして。競馬はやったことがないですけど、自分が一番好きなものを具材に創作する姿勢はかっこいいですね。

    「最低でも月に1話はアップする。どんなに読まれなくても、何年かかっても、絶対に完結させる」

    どんなジャンルにでも言えますが、すごく大事なことで、絶対破ってはいけないルールだと感じました。

  2. 石見千沙 石見千沙

    @704
    初めまして、コメントありがとうございます。

    今でも書くことを維持するために、常に好きなものの料理方法を探しているような感覚があります。
    完結も継続も大変ですが、好きなものを扱っていると、それだけでがんばりやすくなれる気がします。

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