締め切り前、ギリギリ、セーフ!
伝えた日……うーん。
「小説を書いているよ」と周りに言うのに、そもそも抵抗感がない環境に身を置いていたんです。
というのも、以前は地方でテレビやラジオの番組を制作する仕事をしていたため、企画書や台本、脚本などを書く機会が多かったからです。周りもクリエイターだらけ。自分が表現することを公開するのが当たり前でしたので、こういう環境は特殊といえば、特殊かな……?。
今、時系列を追って、まず小説を書くにいたった当時を思い返しています。
寒かった晩秋。そう、短期間ですが福井県に住んでいた頃のことです。当時、ボクは福井市にある放送局でよく仕事をもらっていました。
ある時、特別番組を制作することになり、ボクがラジオドラマの脚本を書くことになりました。
出演は局アナのオールスターズで、スポンサーさんは大手の協会さん。あの時は、緊張しました。
その時の放送が好評で、ボクは嬉しかったんですね。(あの時のラジオドラマの録音、もう一度聴いてみたいな……放送局に残っているのかな?)
物語を書くことが楽しくて仕方なくなってしまったのです。
その流れですぐに調子に乗って、プライベートで初めて小説を書いて応募するようになりました。
そのラジオドラマ放送の直後、出身地である滋賀に帰郷。そこで、ありがたいことにいくつか地方の賞をいただきました。それらは地元の新聞に写真付きで掲載されたこともあって、家族や関わる人たちも、みんなほぼ当初から、知ってもらうことになってしまいます。
ただ、妻(当時は結婚前でしたが)の両親に小説を見せるのは、ドキドキしました。
というのも、まだ相手の両親に会ったことがない状況で、勝手にボクが小説を書いていることを、妻(当時は婚約者?)が親に伝えたからなんです。すると、「じゃあ、読みたい」とご両親がおっしゃって、さあ、大変。
妻(くどいが婚約者?)の一家は芸術系で、姉はプロの漫画家だし、義父(婚約者の父)にいたっては国語の教師です。
ハイレベルなものを期待されていたらどうしようと、尻込みまくりでした。
結果、ご理解のある、優しいいいご両親だったんです。それは今でも感じてますし、感謝しています。
褒めていただけました。
その後、初めての挨拶に行っております。
小説は、いつもボクそばにいて、人生を先導してくれてきたように思います。
伝えることで後悔したことは、ありません。
伝えることで、救われてきました。これは、ボクが相当ラッキーなのですね。(了)
コメント