『水平線は間もなくらしい』構想ノート2

『水平線は間もなくらしい』構想ノート2

順不同かつ脈絡もないのでどうぞ気ままに

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小説を書き始めてから4年と半年が経った。つまり4歳半。小学生にも上がれやしねえ糞餓鬼ですが、記憶にある限り私はその頃から良い子だった、というのはもちろん私の主観でしかありやせんので、誰か何とか言ってくれ。

4歳、人間の尺度で行ったら生まれたての小鹿。だから人間だっつってんだろうけれど。
皆さんは4歳のころ自分が何をしていたか覚えていますか?

4歳って年齢はあまりに幼い訳ですが、とどのつまり生まれてからあまりに日が短い。自覚できることも少ないし、自覚した上で自分自身を知るには絶望的に未熟だ。生まれたことについてさえ疑問に思わず、生きていることにさえ意義を持たない。誇らしいまでに子供だ。生きることに対して無自覚で、愛に対して無遠慮であって不具合がない。清々しいまでに無垢な生物。

子供が生まれることは、幸福たることでしょうか?

出産にも、育児にも膨大なお金と時間と体力と胆力が必要です。でも子供を産もうと思った親はいつかどこかのタイミングで、明確に腹を括っているのだろうなと思う。

でも子供は、生まれたことを自覚するタイミングはありますか。
自分が愛されていることを理解できるのは、もしかすると随分と後のことなのかも。
実は、そんな救済のタイミングはこないのかもしれない。
生まれたことで得られる幸福と、生まれたことで獲得した苦痛とでは、あなたの人生に蓄積していく総量はどちらのほうが大きいだろう。
あるいはどちらの方が明確にあなたの前にあり、あなたはどちらに希望を、もしくは憂鬱を見出すのだろう。

子供は生まれない方が幸せなのかもしれない。
苦の不在は良いことだ。
快の不在は、悪くない。

反出生主義という考え方があると知ったのは、このお話を書こうと思った少し後のことでした。
いや正確に言うと、このお話を書こうと思うにあたって、これを知る必要があったんだ。

産むことと生まれることが良いことだと、そんな簡単なことを書きたいがために、私はこんな文章を、小説を書きたいと思っています。

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