根は同じことで
16時44分、ちょうど豚肉と大根を煮込んでいるところです。
さっき、ふっと『読まれない』って思う時、もしかしたら、『読んでほしい人』が少なからずその人の中にあるのかな、と思って、多少なりともそれは自分の中にもあるなぁとさっき思いました。
言葉だけなのに不思議ですよね。その人がとてつもなく魅力的に思えたり、ちょっと身震いするほど苦手だったり。まるで言葉にも髪型があって体型があって、ファッションがあるみたいに各々の好みが出る。
それぞれ個性があってみんな好きです、とは言えません。
それでもなんか、『承認欲求』を否定しても、承認欲求が0の人はごくごくわずかな人でまずそういう人とは出会えないと思うんです。
グループは苦手だけど、私が誰かと親しくしてるだけでそれが誰かにとってはグループなんですよね。
ネットの海に20年ほどいるので、某掲示板で弁当のことが叩かれたこともあるし、友達がなりすまして批判のコメントをしてきたこともありました。
いろいろあったけれど過ぎてみれば手の中にあるものはなく、悩んだことが嘘みたいにちゃんと過去になってる気がします。
好きも嫌いも、他人に永遠とくっつけることってあまりないんですよね。
ただ、やっぱり自分がしんどかったり、自分を粗雑に扱う人とは離れたほうがいいと思います。
人の『嫌い』はなかなか変わらない。自分の嫌いな人に好きになってもらおうとするのには自分が壊れるほどのエネルギーがいる。そして人は自分のことを嫌いな人が気になる。自分のことを大事にしてくれる人ほど当たり前になって粗雑にする。
まるで誰かに言ってるようですが、大馬鹿な私自身に言い聞かせています。
暑いけれど、醤油と砂糖で煮込んだ大根は美味しい──、せっかくの美味しさを悩みで消してしまわないようにそんなことを思った8月の終わりでした。
コメント