書く意図は作者に、読む楽しみは読者に

書く意図は作者に、読む楽しみは読者に

この前企画で、なんで小説書くん?というのを言語化してみたのと、
それから最近ぺそぺそと公募に送るために物語のようなものを書いてるときに思ったのと、
当たり前だけど自分ちゃんとできてるかな?というのがタイトル。

わたしの考えたことなので汎用性があると思いませんが、先々の戒めとして言葉にして置いておく。

モノを書く人はたいてい書く動機が自分の中にあって、それって「聞いて聞いて!」なんですよね。
自分のことを話したいから書いてる。仕事で書いてる人も、原初はやっぱりそうだと思う。

書くだけならそれでいいんですが、それを読んでもらうためのものにするには、主客を逆転させなければいけないんだな、って思ったんですね。
本当に当たり前なんですが。

読まれるためのモノになった時点で、それは読者が楽しむために存在すべきなんですよね。
公募も、審査する人は要は読者なわけで。しかも大量に読んでお疲れのところに読んでもらうわけじゃないですか。
そんな人に楽しんでもらうにはどうすればいいんだろう。

公募だとあらかじめ、こういうのを読ませてほしい、とオーダーが書いてあるから、その人が極力楽しめるものを手持ちから作っていく、みたいな。

発露の動機は自分側にあるけど、作品にしたいならそれは相手へのホスピタリティーにあふれてないといけない。

ということをすごく痛感したのが、
漫画家の松井優征さんのインタビューや作劇論を読んだときなんですよ。
読者のストレスを極力減らす、っていう考え方が、すごく納得できた。

これを自分なりに噛み砕いたところ、
「聞いて聞いて!」を、
「いらっしゃい!楽しんでいってね!」にする技術を磨くってことかな、
ということを考えました。

これは相手の好みに合わせて自分の書きたいことを曲げる、ではなくて、
自分の書きたいことをいかに相手の好みに見せかけるか、という工夫だと思います。
あと、途中離脱させない工夫。

そんなこととっくにやってるし!
というのはごもっともで、私が遅蒔きながら最近これを痛感したので、忘れないようにするんだよフォーミー、というお話。

松井優征さんのインタビューは、
「松井優征 ジャンプ 講座」
とかで検索すると読めます。

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