『水平線は間もなくらしい』構想ノート1

『水平線は間もなくらしい』構想ノート1

新しいお話を書くにあたって構想やシーンの断片や作品になるまえの散文を書き記しておく。
こんな暇があるならプロットを書けよという感じだけど、回り道が最短距離の場合もあるよ。
ネタバレでしかないので、気になる方は作品の完成を楽しみにしていてくださいね。

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人が亡くなることについて考えることは多々あった。

それは身近な人の死だったり、好きだった芸能人の訃報だったり。
物語を書くにあたってもやっぱり無視できないほど大きな割合を占める事項です。
なんでだろう。やっぱり僕らが生きている以上、死はこれから必ず迎えるビッグイベントだからかもしれない。
死を意識することで私たちはそこに至るまでの時間を意識し、今を生きる自分を意識する。みたいなことを言いたくもなる。

ところで、生まれるということについてはあまり考えて来なかった。

生まれるということは、死ぬということと同じくらい馬鹿デカいビッグイベントで、しかもここにいる全員が(タリーズの店員さんも、隣でパソコンを打っているイケメンも、下北の街を行くばあさんも)既に経験しているはずで、だった死ぬことなんかより、よっぽど身近に感じそうなもんだけど。

結果的に僕はこれまで、どうして生まれるのかを考えたことがない。
人は生まれたがって生まれて来るのかな?
大人になった今では全ての子どもがそうであってほしいと思っているけど、子どもの頃は全ての時間でそう思っていた訳ではない気がする。
振り返ってみるには時間が経ちすぎた。
幼かった子供がいつの間にか大人になっていくわけなんだけど、
大人にもなりたかったっけ?

生まれる前の世界を書こうと思ったのはそういうところが発端にある。

ところで、生まれることと死ぬことは対比ではない、と思う。
時間の経過の末端と末端に、それぞれ大きな動詞が用いられているわけなんだけど、
生まれることを考えることは、死ぬことを考えることで、
死ぬことを考えることは、生まれることを考えるということらしい。

こんな簡単なことさえ、この文章を書きだしてみるまで気が付かなかった。

作品のはじめと終わりに似ていて、なんだか可愛いね。

お話は、生まれて来る前の女の子が学校を卒業するとことから始まるつもりです。
タイトルはまだ未定だけど、息を切らして走って走ってその先に、膝が震えるくらい茫漠とした景色が広がっているような、そういうお話を作ってみたい。

ところで、人や物語が生まれる前には、どんな景色が広がっているのだろう。

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