私は幼い頃から七並べが好きだった。自分に有利な手札、不利な手札を見極め、不利な手札を有効に使う。
小説を書き始めたのもそういう「工夫してどうにか上手いことしたい」意欲が爆発的に高まったからなのだと思う。
小説を書こうと思った年は、人の表情を目元だけで読み取らなければならない、そんな年だった。
何かしたいけど、行動することさえ悪のように感じていた日々。そんなとき、ある曲に出会い、興味本位で原作小説のリンクをクリックして、世界がパラパラと風を起こして広がっていく気がした。
好奇心旺盛な私はすぐにアカウントを作り、投稿した。今でもあの夏を鮮明に思い出すことができる。
暑い日。集中して熱い体は汗ばんでいたけれど、スポーツをしたときのようなすっきりとした汗。常に頭は小説のことを考えていた。
それが、四年続いた。いや、四年、というのは少し盛ったかもしれない。四年間の中で書けないときが半年ほどあった。細かい日数を合わせたらもっと加算されていくと思う。
それでも小説を書くことで日常に「好き」が増えた。実際に小説が本棚に増えていくという意味ではなく、「小説を書くことが好き」は「生活が好き」に派生していった。生活の中にヒントがあるし、自分の考えすぎ、不安症なところが活かせる。つまり「悩みすら活かせる自分が好き」に成長した。
長々と書き連ねたが、自分の機嫌を取る方法が小説を書く理由だし、ポテトフライは塩が濃いくらいが美味しい。つまり、美味しいと一度思ったらそれがない時に物足りなくなる。小説はそんな存在。
いや、待てよ、テーマは「小説を書く理由」だった。理由が脱線した上に増えるしでなんとも自由な書き方になってしまったが、そうこう言い訳を言っているあたりで、そろそろオチかな? と読んでいる方が思ってくださったなら、少し書くことが上達したかな? と成長をゆっくりと味わいながら終わりにしたいと思う。
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