はじめに
こちらは、「小説家になろう」にユーザー登録し、作品をアップする前に「活動報告」のひとつとして書き上げたもの──所信表明? 初心表明? おそらくこの場合後者なのでしょうね。ニホンゴムズカシ──になります。保存してあるファイルのタイムスタンプを見たら2012年、もう10年以上前のものでした。なかなか作品が用意できないくせに承認欲求ばっかり膨らんでしまって仕方ないので、こうしたものでも公開する事にしました。
なりたい自分、なりたくない自分
『私はウルトラマンだ』
これは、『ウルトラマン STORY 0』というマンガにて、ウルトラマンが、バルタン星人と戦っていた時に口にしたセリフです。
そのウルトラマンの故郷である光の国は、かつてまだそこがそう呼ばれていなかった昔、太陽が失われた為、その代わりとなる人工太陽を打ち上げる事にしました。
正史では、その時代に実際に生きていた者は、ウルトラマンキングだけだったらしいですが、なんとこのマンガでは、ウルトラマンが人工太陽の開発主任となり、見事打ち上げを成功させ、光の国に太陽の光をもたらします。
……それだけなら何の問題もありませんでした。
しかし、人工太陽は、起動直前に何者かに細工されていたのです。生物に異常なる進化をもたらす『ディファレーター因子』という成分を太陽の光とともに宇宙へ向けて射出するようにと──。
異常なる進化。それは、人工太陽の光を直下で浴びた光の国の人々も例外ではありませんでした。地球人から見てもイケメン(美女)だった容姿は、なにやら時代を感じさせる着ぐるみのような格好になるわ、おもむろに手を十字に組めば、光波熱線は発射されるわ……。
ゾフィー以下、光の国で戦士だった者たちは、この力は、全宇宙の、異常なる進化を遂げた者、またその存在に苦しめられている者への助けとして用いるべきだと決意を固くするのですが……。
その他の文民たちは、みんなドン引きだったでしょうねw
ウルトラマンもまた、人工太陽の開発主任だったのですから、戦士ではなく文民でした。従って、突然得た超人的な能力の存在理由を、他の戦士たちより深く悩む事になります。ましてや、人工太陽を打ち上げた張本人となれば──。
正史では、人工太陽の打ち上げは26万年だかなんだか前だそうですが、このマンガではそこまで昔ではありません。ウルトラマン存命中かつウルトラマンタロウ誕生前、ですから、現在年齢1万2千歳のウルトラマンタロウより少し昔、現在2万歳のウルトラマンが、5千歳~7千歳くらいの頃の出来事でしょうか。
なりたくない姿になった自分。
全宇宙に、自身と同じ苦しみを与えてしまった自分。
この時のウルトラマンの苦悩は、筆舌に尽くしがたいものがあるでしょう。
そんな彼は、バルタン星人と対峙した時、彼らに、人工太陽にディファレーター因子を射出するよう細工をした者は自身であると明かされます。
このバルタンとの対戦があって、ウルトラマンは、遅ればせながらゾフィーらがしたような決意を同じく抱く事になります。
その時の言葉が、『私はウルトラマンだ』でした。
人工太陽を打ち上げた張本人として、彼はどれだけ悩んだのでしょう。千年以上にもなるのでしょうか。そして、そこから一万年以上が過ぎ、地球でヒーローとして崇められるも、
彼はきっと、今だにその思いは頭から離れないのでしょう。
人類の有史なんてかるく、です。そう考えると、この一言は、まことに重いものです。
なりたくない姿にされた偉人に、司馬遷という人がおります。
時の皇帝(武帝)の腹の虫の居所が少し悪かったせいで、司馬遷は死刑を命じられてしまいます。しかし彼は、それを易々と受け入れる訳にはいきませんでした。
司馬遷の父は、歴史書を日々綿々と綴りながらも、完成を見ず他界します。その直前に、息子の司馬遷に、自身の意思を継ぐ事を言い遺したのでした。だから彼は、それを完成させていないのに死ぬ訳にはいかなかったのです。
死刑を免れるには、大金を国に納めるか、宮刑を受けるか。つまり、死刑を受け入れるを含めた3択を、司馬遷はつきつけられます。そして悩んだ末、彼は宮刑を受ける事を選択したのでした。
「死にたくないからってチ○ポ切るとかねーわwww」などと、心ない者は彼を馬鹿にしたでしょうが、そんな声にも負けず、司馬遷はついに、父の念願であった歴史書の完成を成し遂げます。
それが、かの有名な、『史記』です。
私もまた、なりたくない姿である事を、今も余儀なくされています。
小説家を目指したが為、失ったものは、あまりにも多いです。そして、馬鹿に対し、無駄に自身の時間と労力を捧げてもしまいました。思えば、私の過去は、後悔の連続です。
そんな私は……
いらない力に悩まされるも、その力の意義を求め続ける、ウルトラマン。
父を喪い、自身の誇りを失うも、しかし目的を貫き通した、司馬遷。
これらの偉人の生き様を見ていると、涙が出そうになるのです。
私もやがては、プロでなくてもいい。ただ死ぬ前までにはこう公言できるようになりたい。
『私は小説家だ』
と。
少し私の今の話をさせて下さい。
これより10年少々前、つまり今から20年くらい前、世紀が変わって間もなくといった頃、私は自身の経済的ピンチに加え人の借金をも背負ってしまい、破産してしまいます。その頃ではとてもじゃないが余裕がなく細々としかしてこなかった小説の執筆を、この2012年から2013年にかけてきちんと始める事になります。
発達障害をこじらせ、職場を転々としてきた私が、この頃ひとつの記録を打ち立てます。
『ひとつの職場に、5年以上継続勤務』
まったく自慢になる事ではございません。しかしこの歳までそれが成せなかった私にとっては、ひとつのブレイクスルーとなったのです。それに気を良くした所で、「小説家になろう」にていくつか作品を残してゆきます。
しかし、そんな時は、1年程度しか続きませんでした。
ひとつは、ブラックリストから私の姿が消え、クレジットカード等が当たり前に作れるようになった事。この事実は、私の生活を一変させてしまいました。人と同じように貯蓄でき、ローンも組める。これがあるとないとでは、人生の張りは全然変わってくるのです。当時とはリーマン・ショック後という事になりますが、むしろ私に限っては、証券口座を持てるようになった以上、買いには好機でした。始めて5年少々になる投信積立も今は順調そのものですし、2024年からはNISAがより拡充されたものになる為、さらに楽しみです。っと興味のない方には何のこっちゃな話でした。つまりは興味が他へ移った訳です。
もうひとつは、ストレートに創作界隈への興味を失うある事実に気づいたからです。それは、無名な私がとても狭い門を目指し頑張り、万が一そこに辿り着いたとして、そこに居る者とは……。高名な作家先生ばかりでは決してありません。芸能人という門外漢が中身のない文章を恥ずかし気もなく晒し──何ならゴーストライターに書かせた方がまだ良心的かもしれません──てみたり、事もあろうに犯罪者さえ手記を書きにその場にいたりします。そうした連中の文章の方が公募をくぐりぬけた一般人のそれよりはるかに出版社は需要がある……。
そうした理由で、しばらく文章を書くのを止めてしまっていました。それから、車を買い家を買いという、
『小説家を目指したが為、失ったものは、あまりにも多い』
ウルトラマンや司馬遷を引き合いにだして例えた自分とはかけ離れた自分が、2023年現在、ここにいます。
安定期、と今を総括するのは簡単ですが──の割には土砂災害だとか交通事故だとかある……とまあそれは置いといて──そんな私が今、当時のように文章を書いているのは、家や車といった目標を達成できた自分が、さてもうひとつ、と思って昔からの目標である創作で名をあげるつもりでのものですが、これが当然ながらなかなか難しい。少し行き詰まっています。
なので今、私が昔に書いた文章をこうした形で読み直している所です(ひとつは虫干し的にmonogataryへ出してはあります)。何ていうか、今書いているものは味気がない。人に勝つ前に当時の自分にさえ勝てていない気がしてならない。ひょっとしたら当時あった執念のようなものが足りないのかもしれない。
2012年から2013年の「なろう時代」。
PVなどまったくなかったけれど、私の人生において特別な時でした。
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