幼い頃は、マンガを描くのが大好きな人間でした。
でも、両親は私の『好き』を認めてくれない人でした。
「進歩のない絵」
「下手くそ」
「またマンガなんて描いて……」
「まだマンガ家になるなんて言ってるの……」
幼い頃の私は、自分の心を守るためにマンガを描くことをやめるという決断を下します。
(自分の夢を守ることができるのは、自分だけ……)
マンガ家になりたいという夢を捨てた私は、文章を書くことを始めました。
ノートに詰め込まれた文字を見るだけでは、物語を作っているのか勉強しているのか、一瞬では判断できない。
私の作戦は、大成功。
私は両親に気づかれることなく、物語を作ることができるようになりました。
マンガを描くことはできなくなったけど、文字だけで物語を書き続けていこう。
自分の夢は、自分で守らなきゃ。
「もうマンガは描かないのか?」
ある日、父に言われました。
「……私のマンガ、下手くそって言ったよね……?」
だから、私はマンガを描くのをやめたんだよ?
「ん? 親に言われるのが嫌だから諦めたなんて、そんなの言い訳だろ。親に言われて諦められるんだから、その程度の夢だったってことだよ」
守らなきゃ。
守らなきゃ。
守らなきゃ。
私は、自分の夢を自分で守らなければいけない。
そうじゃないと、壊れちゃう。
私の夢が、両親の手で粉々に打ち砕かれてしまう。
そうして私は、引きこもりの創作人生を送るようになりました。
小説を書いていますと、誰にも打ち明けないまま大人になりました。
さすがにパソコンで小説を書くようになってからは、両親にもばれていたと思います。
あ、この子は、何かを書いているんだなって。
でも、この頃にはもう、両親は私に関心がなかったのかもしれません。
「何をしてるの?」
そう問いかけてくれるのは、私が幼い頃だけだったようです。
書き続けた小説をコンテストに応募するようになりましたが、受賞には至らず。
何も結果を残すことができないまま、病気を患いました。
(諦めたくない……)
ほぼ寝たきりの時期もありました。
それでも、私は物語を書き続けたい。
寛解しない身体で書いた作品が、『魔法のiらんど大賞2022コミック原作大賞異世界・現代ファンタジー部門特別賞』を受賞。
人生で初めての受賞。
でも、この受賞すら誰にも話しませんでした。
今も秘密にしています。
報告するのは、SNSだけでいい。
自分の夢は、自分で守らないと壊されてしまうから。
しかし、ここで問題発生=転機が訪れます。
担当さんからの電話です。
家族に内緒で電話ができるわけがない!
病気療養中の私に、誰が電話をかけてくるというのか!
「実は……」
これが、私にとっての『小説を書いていることを伝えた日』です。
担当さんが付いたとき、ですね。
(※書籍化ではなく、コミカライズを検討してくれる担当さんです)
でも、今も「受賞したよ」って話はしていません。
受賞の事実を隠したまま、担当さんと打ち合わせをしています。
若くして亡くなった父のお墓にも、受賞の報告はしていません。
いつか言えるようになるかな。
いつかは、父と母を笑顔にすることができるかな。
あ、父にはまだ、『小説を書いていることを伝え』ていませんね。
いつかは伝えられるかな。
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