【エッセイ】好きを分別していく作業

【エッセイ】好きを分別していく作業

 引きこもり体質の私は、欲のまま引きこもっていても心身に不調をきたすという矛盾を抱えているので、先日、意を決して某ショッピングモールへと出かけた。今の家に引っ越してきて一年半、県内最大だと思われるそのモールに足を踏み入れるのは初めてだ。
 高速に乗って一時間半。さすがベッドタウン、車の多さに早くも帰りたくなりながらたどり着いたモール内で、結局購入したものはカトラリーひとつ(五百円)のみだ。高速代と高騰中のガソリン代を加味したら、とんでもないロスである。
 本来の目的は、洋服を買うことだったはずなのに、今となっては「一生ジーパンとパーカーで生きていきたい」とさえ思っている。

 昔はもう少しファッションに興味を持っていたように思う。
 女子高生の頃は、セブンティーンやノンノを読み漁っていたし、当時のモデルであった鈴木えみちゃんや田中美保ちゃんは今でも私にとっての憧れだ。
 大学時代は、ヒールの高さと女度は比例するという馬鹿げた信仰にとり憑かれていたし、就職して間もない頃は大阪某所でキラキラした同期女子たちと一緒になってSATCごっこをしていた。黒歴史である。
 一見華やかに見える時間だが、私はいつも苦しんでいた。理想と現実のギャップ、本当の自分が分からなくなっていく感覚、次第にそれは将来の自分にまで及びそうになり、このままではいけないと思った。
 私は、私自身についてもっと知る必要があった。

 ある日、ノートを開いた。
 見開き二ページを使い、「好きなもの」と「苦手なもの」を分けて書き出した。もう十年以上前のことだ。今になって見返すと、とても面白い。
 若い頃の私が理想としていた「ファッション誌」や「都会」、「大勢で遊ぶ」はすべて苦手なものに分類されている。歳を重ねたことで自己理解を深めた今となっては「そうだよねー」くらいの感覚だが、当時の私にとっては衝撃だった。
 そうか、私は理想としていたものを、本当は苦手に思っていたんだ。
 そのノートだけがきっかけではないはずだが、それからの私は現実と理想のギャップに苦しまなくなった。ある意味、現実の自分を受け入れて、自分らしく生きていく術を身に着けたのだと思う。

 当時のノートには、いろいろな感情や愚痴(笑)が書かれているが、読み返すとどこか俯瞰的になるから不思議だ。当時の私はよくも悪くも周囲を意識していたし、ずいぶんと生きにくそうだ。
 年齢を重ねることは悪いことばかりではない。それなりに経験を積んだ今の私を、私はそれなりに好きだ。

 先日のショッピングモールでは大した収穫はなかったが、久しぶりに一人で外出して、ゆっくりショッピングを楽しむという時間を作れたのはきっと無駄ではなかった。ファッションを得意としていない私は、このままジーパンとパーカーで過ごす未来しか見えないわけだが、きっとそれも悪くない。

(写真素材:ぱくたそ)

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