#私が小説を書く理由

#私が小説を書く理由

前提として、私の書く理由は流動的である。

まず大前提として、私にとって書く理由なんて考える度に変わるというのを許して欲しい。

それは「特にない事の表れ」ではなく、私にとって書くという行為には“理由がありすぎる”という意味だ。

ありとあらゆる理由や欲望がひしめき合い、皆がその時々の1番になるために群雄割拠している、いつだって合戦状態なのだ。

ある時は
『表現したいことが嫌というほど溢れてくるから』

またある時は
『誰かの心に1作でも刺さる作品を作りたいから』

果たしてその実態は、私にもわからないのである。

私は一生モノ書きでいたい。

さて、では今の私にとって小説を書く理由は何か。

それは『自分から出るゴミに価値をつけるため』だ。

何の説明もなければ白い目で見られそうではあるが、これが本心だ。今の私にとって小説とは『自分から出たゴミ』なのだ。

これは自作品が駄作だと言っている訳ではなく、

『私が“知識や経験”を摂取し消化したあと、自然と出るゴミ(思うこと、考えたこと、いつかは忘れること)に付加価値をつける(物語にする)』

という意味だ。

何かを無理やり捻りだそうとしていれば、いつかはスランプに陥り苦しみに苛まれることになる。

ゴミのように、生きていれば当然出るものを小説に昇華できればそもそもスランプに陥ることもない。

それに、私はどうやら他人よりもゴミが出やすい生活をしているようで、毎日小さなゴミでナイロン袋がパンパンになってしまう体質らしい。

それらに価値を持たせることができればコスパ最強の創作活動になる。そうすれば私は、一生モノ書きでいることができるのだ。

今私が小説を書く理由はそれに尽きる。
はやくこの錬金術の精度を上げたいものである。

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