私が初めて物語を書いたのは、小学五年生の授業でだった。400字詰めの原稿用紙を好きなだけ使っていいから物語を書きなさいという授業で、クラスメイトたちはブーブー文句を言っていた。
そんな中、物語を読むのが好きだった私はなにを書こうかワクワクしていた。ザラザラした原稿用紙を前にして、主人公は女の子にしようかな、ウサギも出しちゃおうかな、なんならこのウサギ、しゃべらせちゃうのはどうかな?
なんて膨らむ妄想を文字にして、教卓に置いてある原稿用紙を次から次へと取りに行った。クラスメイトたちは一枚書き上げるのに苦戦している中、私は数十枚使用してみんなを驚かせた。
その授業が終わって誰かが先生に聞いた。
「誰の物語が一番面白かった?」
本を読むのが好きな子は私のほかにもいて、多分その子の名前を言うんだろうと思った。でも、先生が挙げたのはその子じゃなかった。
「小池さんかな」
そのときの感動は今でも覚えている。初めて創作をして、それを「面白い」と評価してもらえて、私にも向いているものがあったんだと気づいた。
私がモノカキになったきっかけは、確実にこの話である。
中学に上がって、私はとある先生に出会った。担任かつ国語の先生、岡田先生だ。ヘビースモーカーで何本か歯のない痩せ気味の男の先生だった。清潔感があったかと聞かれたら首を傾げてしまうし、生徒から人気があったかと聞かれたら視界が上下逆さになりそうなほど首を傾げてしまうけれど、私は好きな先生だった。
なぜかって、私の書いた物語に感想を添えてくれるからだ。
中学のときは漢字の書き取りでも日記でも、なんでもいいから一日一ページ書いて提出するという宿題があった。私はそれに物語を書いて提出していた。
さすがに毎日物語を書いていたわけではない。漢字の書き取りや数学の公式など挟みながら、フィクションやノンフィクションを書いてきちんと毎日提出していた。
先生は毎日確認してコメントをくれるのだが、そのコメントが割と厳しかった。
『淡々とした文ですね。もう少していねいに書きましょう』
『これはどういう意味?』
『面白いけど分かりにくいです。もう少しくわしい説明を』
ちぇっ、と思うことは何度もあった。小学校の先生は褒めてくれたのに、中学の先生は褒めてくれない。でも、物語を書くことをやめようとは思わなかった。岡田先生に褒められたい、その一心で私は物語を書いていた。
あるとき、私はこう書いた。『将来の夢は小説家です』と。すると先生から返事があった。『小池さんならなれる。応援しています』
岡田先生は私が卒業するまで本当にずっと応援してくれていた。ときには先生の息子さんが書いたという物語も読ませてくれて(その原稿は今でも持っている)、私が小説家になることを誰よりも信じて疑わなかった。
中学を卒業し、高校に進学しても大学に進学しても私は細々と書き続けていた。コンテストに出しては落ち、出しては落ち。それでも私は物語を書いた。
そんなとき、岡田先生の訃報を聞いた。
「ガンだったって」
ガツン、と鉄の棒で胸を突かれた気がした。本当にショックだった。中学を卒業して以来ずっと会ってなかったし、滅多に思い出すこともなかったのに、もう会えないと知ると無性に会いたくなった。
──岡田先生、私はまだ夢をあきらめてないよ。芽なんてちっとも出てないけど、岡田先生が応援してくれたから私は書き続けてるよ。くじけそうになるときもあるけど、やめないよ。いつか絶対本を出すから、見捨てないで見守っててね。
そう先生に言ったらきっと『淡々とした決意ですね。あんまり伝わらないのでもう少し表現を変えましょう』なんて返ってくるんだろう。
ちぇっ、と思いながら私は前と上を向いて、物語を書き続ける。
(了)
コメント
小説のようなエッセイ…!
文体もエピソードも。
岡田先生、かっけー。
素晴らしい出会いでしたね。
宮音さんの活躍、届いてるといいな、と思いました。
@ころもち
もちさん…!ノンフィクションなんですけど岡田先生に『作り物っぽいです』って言われるかな…ちぇっ(笑)
もっと目立つ活躍しなきゃな〜ありがとうございます😊