誰かが突然 話しかけてくる
私が小説を書く理由──。そもそも私は小説が書けているのだろうか?
『小説とはなんぞや説明して!! 』と言われてもすぐには即答できない。ただ覚えている瞬間があった。ちょうど2年前の今頃、『凪のような物語が書きたい』と全く今と同じ夜、お風呂の順番待ちでソファーに座っている時、思ったことを。
その頃、私の周りにはとても厳しい方々がいて投稿サイトとはいえ気軽に投稿するわけにはいかなかった。一時期は投稿するたびにツイッターのダイレクトメッセージで厳しい指摘が届いた。
その度に塾に入ってるわけでもないのに、プロになりたいわけでもないのに、なぜこんなに好き勝手言われなきゃいけないのか? 悔しい思いでいっぱいだった。悔しいからやめたくなかった。
小説はインスタグラムやブログのキャプションとは違う。シンプルに伝えてしまえば一言ですむことを、何万文字、中には何十万文字を使って伝えてゆく。受け取り方は人それぞれ。魂を込めたから、時間をかけたから、文才があるから、そんなことは関係なしに読むか、読まれないか、とてもシンプルだ。
読み方だって様々。
求めるものも人によって違う。
そして、たいていは1日、3日、1週間、1か月、フェイドアウトするように書かなくなってゆく。それはそれで幸せなのだと思う。その時間をもっと有効的に使うことはいくらだってできるから。書けなくなることが別に不幸せでもない。
それでも突然と存在しないはずの誰かが話しかけてくる。とある物語では、主人公を苦しめただけの浮気相手の女性が2日前、私の中で別の姿を見せてきた。その女性が暗闇の中、花束を2つ抱えて横断歩道を歩く姿まで浮かんできた。『今だ!! 』と思って私はスマホを手にして、スマホを手に持てないときはその辺に散らばってるメモ用紙に走り書きする。もしくはそれもできない時は脳内に何度もその言葉を貼り付ける。作家でもないのに──と、今も書いていて思う。さほど読まれてもないし、名前だって知られてもないのに、と思う。
それでも人生折返し地点過ぎて、こんなに夢中になってる自分にびっくりする。
そして気づいたこと。
私は私に話しかけてくる誰かの言葉を思いをあなたに伝えたいのだと思う。
たった一言ですむことを自分の過去の記憶の中を旅しながら、託すのだと思う。託された思いを物語に。
そして、こんなことを書きながら結局は書きたくなるんだ。今までどんなに批判されても書くことはやめれなかった。死ぬまで、スマホを持つ力があるまで私は多分、書いていると思う。
どんなに小さな心の動きでも、あなたにちゃんと伝えたくて。それが最後まで小説という形なら今はいいと思う。
コメント