
昔は好きだった作品が、歳を重ねてから読むと違った印象を受けてしまい、読めなくなることに若干の寂しさを覚えています。あの頃とても好きだった。時間を掛けて全部揃えて、何度も読み返した。そんな情熱が失われてしまった喪失感と、それを成長と捉えるのか退化と捉えるのか、捻くれてしまっただけなのではないかと自問自答が止まりません。
それでも、中には未だに好きで居続けられる作品もあります。そういった作品と再会し、変わらない熱意が自分の中にまだあることを確かめると、安心します。
変わりたいけれど、変わりたくないこともある。そんな矛盾した気持ちを持ちながら、日々生きています。
……と、鬱々とした始まりで恐縮ですが、最近アウトプットがままなりません。小説が思うように書けないでいます。
書きたいお話や、キャラクターは生まれるのですが、文章が思うように綴れない。展開が好ましいものにならなくて、途中で挫折する。その繰り返しで、大分心が疲弊しています。酷いときは「書けないのにいてもしょうがないじゃないか」と、小説サイトから退会しようかと思ったほどです。
日常生活でも少々行き詰まっているので、せめて好きなことくらいはのびのびやりたかったのですが、タイミングというのは嫌なものほど重なるようですね。目の前に高い壁があって、飛び越えることも壊すことも出来なくて呆然と立ち尽くしているような心境です。
今までなんとなくで誤魔化してきたものに直面している感じでしょうか。寝不足にもなり、これはまずいなと思ったので、今は小説を書くことから少し離れ、心の整理と息抜きに努めています。このエッセイも、息抜きの一環です。思えば小説を書き始めてからかなりの年月が経ち、ずっと何かしらをがむしゃらに書いていました。自分の好きなものを貫くことにも、休憩が必要なことを私は忘れていたようです。
恐らくですが、いろんな心境の変化も重なって今に至っているのだと思います。日常生活での変化はもちろんのこと、書いた小説の質に対するこだわり、書きたいものと自分の今の技量とのギャップなど、ここしばらくは答えの出ない難問に当たることが多かったです。その答えは今も出せていませんので、毎日走ってばかりだった日常から少し離れ、自分を見つめ、立て直す機会に当てたいと考えています。
書けないことへの焦りから、また無理やり書こうと思う日もあるかもしれません。ですが、納得のいかない作品ばかりになって、書くこと自体が嫌いになる展開だけは避けたい。何を見失っても、書くことを嫌いになりたくないという気持ちだけは忘れずに、しばしお暇します。
今までも悩むことは多少ありましたが、小説が書けなくなるほど深刻なのは初めてです。空想が好きで、その空想を文章にして生み出すのが私の充実した日常だったのに、今は空想が文章にならない。言葉が詰まって、うまく出てこない。そんな有様です。
悔しいし、苦しいなとは感じますが、しばらくは休息メインでゆっくり過ごします。美味しいものを食べて、好きだなと感じるものに触れて、ふとしたときに自分の心情を整理しながら、「これからどうなりたいか」を考えていきます。幸い、「書くのを辞める」という気持ちには一切なりませんでした。書くのは諦めたくないと思えるほど、私にとって創作とは生きる糧になっているらしいです。今わかっているのはそれくらいですが、最初にわかってよかったと思っています。
創作活動はしばらく控えめになりますが、心情の整理も兼ねてこちらへのエッセイ投稿はたまに行う予定です。どうぞ来年もよろしくお願いします。
良いお年を。
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