やっと気付けた、遅すぎる。

やっと気付けた、遅すぎる。

16歳の時、子供を産んだ。

私はメグ。今は40代のババァである(笑)

人生振り返った時にたくさんの間違いと
「自分本意」だけだった後悔と、間違いに気付いて懺悔と幸せについて話したいと思った。

14歳の時 夜中にいきなりの過呼吸を起こし母に気付いて貰え、救急車で搬送された。
「甲状腺機能亢進症」と診断を受け
入院した。
今で言う「ナルシスト」みたいに
「命儚げ」みたいに酔って
入院仲間を仲間みたいに思ってしまった。「ご都合主義」が当てはまると思う。

入院は1年近く。手術もした。
病院から中学に通った。

何にも解って無かった。

本当に何にも。

置かれてる状況も立場も「当たり前」だと思ってた。馬鹿だよね、「幸せ」な状況、立場だったのに まだ未知の欲があった。
あれも欲しい、これも欲しいって物欲がすげぇあった…必要じゃなかったのに。

イカれてたんだって自己理解しとる、今。

退院して…高校生になって、惹かれた人に溺れた。自分勝手だよね、何にも責任取れない未成年なのに。
元々生理不順だったのもあって…初めて違和感あったのはお腹を蹴られた時。
全然お腹も大きく無かったのに「蹴った」を感じた。「ん?…」
病院行ったら7ヶ月って
親同士の話し合いとか色々あって
一応入籍した。

が、相手は翻弄ってか?自覚無しで女性と接する人で 自分の恋愛経験浅いながらに
嫌悪感抱き 親に力借りて別れた。

学歴無いし頭も無いし

シングルやけど、堂々と生きていきたい、ってだけで先輩から聞いただけで男だけの世界に行くって決めた。
「鳶職」なった。男に馬鹿にされんよう誰より頑張った自負は在る。知らん事はためらわず聞いて、力仕事は頑張った。ひたすら現場で働いて、少しずつ仲間が増えた。嬉しかった、有り難かった。現場も任された。在る意味、妹から聞いたら「お前の姉ちゃん、伝説やぞ?」って言われて迷惑なんやけどって。
毎日現場こなしてるさなかで…そん時に男女の関係性とか?やるだけ?とか本気じゃない?って学んだ。
チャラいとか?適当に生きてる奴とは関わり辞めた。
逆に「真剣に生きよう」と。
自分が生まれて生きてる意味を考えた。

人って誰かれも、ただ誕生して生息する。でも「生まれた意味」「生かされてる意味」って考えない。

ただ単純に生まれて生き抜くのが1番楽。

けど思う。
生まれて、何を思わなきゃいけないか。
義務教育受けて、てめぇの食いぶち稼いで、最低限他人に迷惑かけないよぅに「幸せ」「嬉しい」「ありがとう」を感じて生き抜くか?「てめぇ以外どぉでもいい」と思うかで全く違ってくるなと。
私は人と繋がってるのがありがたい。
10代は無知で散々好き勝手やってきたが…
今は間違わない。
たくさんの後悔と、懺悔あるよ。
戻れるんなら
ん-10歳位に戻りたい。後悔も懺悔も無い様にしたい。
けど…歴史変えたいけど「子供の存在」は無くしたく無い。勝手だよな。

だけど思う。
「もっと勉強すれば良かった」
「もっと真剣に生きてこれば良かった」
「無駄なモノに執着せにゃ良かった」
「人生」って大きいモノだともっと早くに自覚したかった。

最近ダチと話す。
「人生何歳からやり直したい?」って。
今の「記憶」持ったまんまの上でウチもツレも「小学3年生」だったよ(笑)

ツレは「すげぇ勉強して今の状況にはならん生き方する」って(笑)
ウチも同じかな。
馬鹿にしてた「ちゃんと勉強する」
勉強して今より選択肢がある人生で在りたい。馬鹿みたいにサボるのが「当たり前」だった人生否定したい。
今の「記憶」があるまんま「やり直せる」のなら、子供が生まれるのだけは「絶対」であるから前後でなんとか遂行したいとは本気で思う。
調子良すぎか(笑)いまだに良く話す。

子供が大人になり…
都合良く扱える訳もなく
尊重してるし、わきまえとる。

私には隠してる事があった。
一生懸命働いてきながら見過ごしてきた。「多分、良くない」って自覚しながら隠してきた。
1ヶ月の間25日出血、4、5日出血無いのが7年位過ぎた。怖くて病院には行かなかった。

母子家庭で過ごしてきたが、人生で初めて「人間ドック」を受けた。12月16日。
10月18日に予約しようと 思って電話したら
とれなくて💦「健康志向ある人多いんやな」と初めて知った。2ヶ月待って受けて、1月1日元旦に年賀状と共に「結果」が送られてきた。「要精密検査」

年始…受信出来ないし、たくさん考えた。
色んな事。
何にもわからないのに身の回りの整理しなきゃとか、片付けれるとこ片付けなきゃとか、最低限処分出来るのはしなきゃとか…全然 マイナスにはなってないんやけど、地味に響いてて
でも笑ってたいから、軽く受け入れた。

何も言わず精密検査受けて
結果は勿論、何かしらあった。
考え過ぎて生きる希望と
途絶えた時の「想い」の遺し方を
考えた。

子供…家族と大切な仲間、ダチ。
適当に生きてきてないんです。
毎日を丁寧に生きて来ました。

今となっては、てめぇにとって変えがたい大事な人がハッキリしてる。

子は 常識を私以上にわきまえており、「昭和か💢」って位 堅実。
それだけで「嬉しい」と思える。
すげぇ幸せだと。

私が想う守りたい奴等は絶対に守りたい。

28歳の時に初めて「喪主」した。遊びたいと行って出ていった母親の葬儀で。
たくさんの葛藤とたくさんの怒り、母親への惨めだなって想い。
複雑どころか?反面教師にした。

「こんな生き方したくない」と。

あらゆる方々?接して、こぉはなりたくないって相手を徹底的に「反面教師」にしてきた。異性にだらしない奴、平気で仲間を売る奴、笑えない事を平気でやる奴。
「同じ生き方はしない」と。
それだけで
今まで生きてきた。
今も勿論 笑われる様な生き方はしていない。サブスクで観るバラエティー番組を子と観ながら「あり得る?」「関東の小学生ってこれ普通なん?」などと言いながら笑って生きてます。
絶対に人生の無駄遣いはしない。
なんなら年齢1桁で気付きたかった。

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