制作中のSF小説の一コマ
FCCサラトガ 暴食街「転天飯店」
「今日は軍の奢りだ!ジャンジャン飲むぞぉ!」
その一言から始まったこの狂乱は、各々の手に握られた箸によって、かろうじて食事の体をなしていた。
バース・ノックスバットはと言うと、この宴会が始まる前に、そそくさと2つ隣のテーブルに避難して事なきを得ていた。
(始まってしまったな…)
この小隊の酒癖の悪さを、バースは嫌という程知っていた。
そして、こうなっては眠るまで止まらないということも、嫌という程知っていた。
「ハイ、魚団子お待ちネ!」
その乱痴気の中を颯爽と掻き分け、店主が料理をテーブルに運ぶ。誰にもぶつかることなくスイスイと進んでいくのを見て、これが酔拳とか言うやつか。とバースは心の中で呟いた。
魚団子を提供した店主は、またスイスイと乱痴気を抜け、その足でバースのテーブルに近づいてくる。
「アナタも、なんか食べるカイ?」
「え、あぁじゃあ、小籠包を。」
「ハイヨ!」
「しかし、すみません。こんなに暴れてしまって。」
「ナンノ!ワタシも軍人だった時は、コレくらい暴れてたネ!軍人ってのはコーで無いと!モーマンタイヨ!」
それはモーマンタイなのではなく、諦めているだけなのではと思ったが、黙っておくことにした。
「そうですか…ところで、軍にいたんですか?」
「いたよ?ここに来るまで、自警団にネ。」
「あぁ…」
自警団とは、聞こえはいいがつまるところ反政府組織だ。こうしたヤクザものは、FCCが雇用を創出するまで、アウターローでは当たり前に存在していたらしい。
FCCがアウターローの治安回復に一役買っているとは聞いていたが、実例を見るのは初めてだった。
そうやって考え事をしていると、空きっ腹に回り始めたビールのせいで、体が熱くなってくる。二日酔いは勘弁だと天を仰いだ時、バースはようやく、この店に他の客がいた事に気付いた。
(よりによってこんな日に、災難だな…。)見ると、その客は女性だった。
店の奥の乱痴気で気付けなかったが、外からも目立つ円窓の際に並んだ2人掛けの席に座り、1人しっぽりと呑んでいる。
綺麗な人だな。と、バースは思った。
腰の辺りまで伸びた白のマッシュウルフが、ふわりと黒いコートにかかって綺麗なコントラストを生んでいる。雪のように白い肌と、その雪原にポツンと2つあるオレンジの瞳は、半分ほど閉じていて気だるそうだ。
(フランスの辺り…いや、ロシアルーツかな?)
顔立ちは、横顔しか見えないが、キリッとしているもののどこか幼げで、子供っぽい印象を受ける。そして、背が高い。座高からして、180はあるだろう。
こんなに綺麗な人がなんでFCCにいるのか。とバースは不思議に思った。邪推も浮かんだが、すぐに振り払う。隊員の家族か、ここで働いているのだろう。もしくは…。そうやって気取られないようチラチラ眺めていると
「ハイ!小籠包お待ちネ!」
ドンと置かれた小籠包の大皿で、バースの意識はテーブルに引き戻された。
「あぁ、どうも」
小籠包に箸を伸ばし、彼女から一瞬目を離す。その瞬間、バースは円窓の方からやり返すような視線を感じた。
目をやると、さきほどの女性が、じっとこちらを見ている。
「どうしたの?何か、変でした?」
酒が回っているんだろう。ぽやっとした気だるげな目で、こちらを見つめている。
「え、あぁいや、なんでもないよ、別に。もし気に触ったのなら、ごめん。」
予想外の出来事に動揺しながらも、なんとか当たり障りのない返事を捻り出す。
「…」
平静を保とうと努めるが、黙ってこちらを見つめる彼女の蛇のような目に、バースは羞恥とも緊張とも言えぬ不思議な感覚を覚え、固唾を飲んで次の一言を待っていた。
「…オニーサン、ナンパ?」
彼女の口から放たれた頓狂な質問に、バースはポッと赤くなった。
「え?ナンパ?」
「うん、ナンパなの?」
「え、まぁ……みたいなもの、かな」
そんな風に見えていたのか…。と思いつつ、頬の赤いのを酒のせいにするために、グラス底のビールを一気に呑み干す。
「慣れてないね」
「一途なんだよ」
「ヘェ、てっきり’’まだ’’なのかと思ってた。」
「どうして?」
その問いに、彼女がピッとバースの顔を指す。
「ほっぺた、真っ赤。」
その指摘に、バースはまた頬を赤くする。
「いや、これは…」
「酒のせいにしようったって無駄だよ。分かりやすすぎる。」
そう言いながら彼女は、手に持っていたウーロンハイを舐める。妙に慣れたその言動に、バースはまさに彼女の手の中で転がされるグラスのような気分になった。
「本当にそんなつもりは…そもそも、君がナンパかなんて聞くから…。」
「フフッ、そうだったね。」
つくづく掴めない人だ。会話が再開するまでの間、バースは香辛料の香りと奥で騒ぐ仲間のどんちゃんが強まる感覚を覚えた。
「軍人さんなの?」
彼女の一言で、ハッと我に返る。
「え、あぁそうさ。…見えない?」
「いや、ここ(サラトガ)で見ない顔だったから。」
「今日付けで着任したんだ。第7独中。」
それを聞いた彼女は一瞬目を見開き、ほろ酔いの口元をにへらと綻ばせて見せた。
「へぇ、エース部隊だ」
「そうらしいね、自覚は無いけど。」
「オニーサンのことを言ったんじゃないんだけど。もしかして自意識過剰だったりする?」
バースの顔がまた赤くなる。つい昨日、同じことをメカニックにからかわれたばかりだった。
「と、とにかくっ、明日から正式に配属で、今日は歓迎会なんだ。そういう君は…、軍人なの?」
「うーん、まぁ、そうとも言えるし、そうでないとも言える。」
カウンターの上に掛かった品書きの札から視線をそらさず、彼女はそう呟いた。
「え、どういう…」
その追撃を避けるように、彼女はガタッと椅子から立ち上がる。
「ありがと、楽しかったよ。退屈してたから。」
「え、ちょっと…!」
追いかけようと立ち上がるバースを手で制しながら、代金をグラスに挟む。水滴が滴り落ち、札に模様を付けていく。
「多分また会うよ、その時はヨロシクね、オニーサン。」
そう言うと彼女はコートを翻し、足早に店を出てしまった。
目が眩むほど一瞬の出来事に、ほとんど放心状態のバースは、最後まで掴めない人だったなと、彼女の姿を頭の中で転がしていた。
「えー、本日から諸君らは、先週穴が空いた第7独中の第10小隊として正式に配属となる訳だが__」
翌朝、司令官のブリーフィングを、バース以外の隊員はまぶたを擦って聞いていた。理由は明白だ。が、バースもまた、別の理由でブリーフィングが頭に入らなかった。
昨日の彼女のことが忘れられないのだ。
__本当にナンパすればよかった。いやしかし、ああいう女性はナンパもスルッと躱すだろう。綺麗な髪だった。白い肌が、綺麗な白髪との境界を見失っていた。
やはりロシアとか、北欧ルーツの人なのだろうか。
もう一度会ってみたい。今日もあの店に行こうか、もしや居るかもしれない____
そうして考えを巡らせていると、見覚えのある黒いコートが視界の端を通り過ぎた。
「___の理由から、第2分隊の隊長は現在不在のため、第2分隊長は別の隊から呼び寄せた士官が着任する。こちらも君たちと同様、昨日ここに着いた人間だ。紹介しよう、エマ・ノーザルト少尉だ。」
そうして紹介された女性は、明らかに見覚えがあった。
腰の辺りまで伸ばしたマッシュウルフ、雪のように白い肌、オレンジの気だるそうな瞳、どこか幼い顔立ちと、それに見合わぬ高身長。
その少尉は、間違いなく、バースが昨夜会話を交わした「彼女」だった。
「エマ・ノーザルトです。よろしく。」
そう一言挨拶すると、さっさとブリーフィングルームから退出する。
それの意地悪いのは、他の隊員の色目を脇目に、わざわざドアから一番遠いバースの席を通って退出したことだった。
あのにへら顔を向けながら、バースの方へ近づいてくる。バースの席の横まで来ると、「また会ったね、オニーーサン。」
そう呟いて、呆気にとられるバースを横目に、「それじゃ」とそのままブリーフィングルームを後にする。
わざとらしく伸ばしたそのオニーサンが、昨晩の酒失を強調させた。
やってしまった。と、バースは頭を抱えた。昨日、酒を交わした、もっと言えば、ナンパに片足を突っ込んで酒を交わした相手が、自分の上官であるなど、考えうる最悪の事態であった。
「えらいことになったぞ…。」
顔を手で揉みくちゃにしながら、バースは口の中でそう呟いた。
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