いつか伝えるその日まで
子供の頃は別にして、私が小説を書き始めたのはまだ数年前のことだ。
最初は東京新聞に毎週日曜に掲載されていた300字小説で、
書くのも年に数本という頻度だった。
特に誰にも言わなかったと思う。ああ、夫には言ったかな。
「私も書いてみようと思うんだ」
夫はあっさりと答えた。
「いいんじゃない」
原則、夫は私の言うことを否定しない。
いいなぁ!と羨んだ方。ごめんなさい。そのかわりさして応援もしない人だから。
でもこの時の私には、この気軽さというか「何でもなさ感」がありがたかった。
それだけ「気軽に初めていいものだ」というお墨付きのように思えたからだ。
とにかく私は腰が重い。
やりたくても、行きたくても、買いたくても、何かとぐずぐず考えを巡らせる。
反対などされようものなら、すぐに気が萎える。
かと言ってあまりに持ち上げられると、それはそれでプレッシャーだ。
その「いいんじゃない」ぐらいの加減がちょうど良かったのだろう。
10本に満たない私の書いた300字小説は、3回ほど採用された。
そのうち1本は優秀賞まで頂いた。
だが家族である私の実家の反応は、いたって冷ややかなものだった。
「あんたが小説?」「わざわざ新聞に投稿したってこと? 物好きだねえ」
そして嘲笑の上からつくろい顔を貼り付けた母が、申し訳程度に
「ま、上手にまとまってるね」と付け加えるのがお決まりだった。
どう見ても好意的に捉えられていないと悟った私は、それ以後
家族に「小説を書いている」ということを言わなくなった。
だがその後、あるSSの投稿サイトに登録し、小説を書くことは私の日常となった。
そして縁あって属することとなった「ベリショーズ」の面々に感化され、
一気に「書き手」としての活動を加速させていく。
だが絶対に家族に知られてはならない。
知れば嘲笑では済まず、必ずや妨害してくるであろうことは、
これまでの人生で嫌というほど知っている。
だから彼らは知らない。
私が数百枚の原稿からなる小説を何本も書き、時には運よく賞をいただき、
新聞連載の栄誉に恵まれ、そのうちの1作が合同とはいえ書籍化までされたことを。
逐一知っているのは私の夫と、その弟だけだ。「秋田柴子」という筆名を聞いて、
大きな交差点のど真ん中で爆笑した弟は、兄と同じく、私が何を書こうと何を受賞しようと
「しばこせんせーーーー!」と笑って叫ぶだけだ。気楽でいい。
この気軽さは、夫の一族にやたらと芸術関係の人間が多いことによるのだろう。
役者、芸者、バレリーナ、写真家、バンドマン、音楽プロデューサー……
ああ、ちなみにくだんの弟氏はギタリストだ。
その血を引く我が夫と弟にとっては、物書きなんてむしろ「カタそう」に思えるのかもしれない。
芸術とは、すなわち究極の自己表現だ。
だが我が実家はその対極にあると言っていい。
自分の家族に向かって、自ら「小説を書いていることを伝える日」は未来永劫、来ないだろう。
「自分で書いたものを投稿ってあんた、恥ずかしくないの?」
この言葉を聞いた日こそが、私にとって「小説を書いたことを言わないと決めた日」となった。
寂しいとかは、まったく感じない。
私にとっては自分の追求するものを書き、誰かに読んでもらうことが望みだからだ。
ただひとつ、心の励みにしていることがある。
「しーちゃんは、いつか大きなことをやると僕は思うよ」
早逝した叔父の言葉だ。
叔父は私が小説を書いていることを知らずに旅立った。
だがいつかその叔父の期待に応える自分になりたいと思う。
そしていずれ叔父に再会した時に伝えるのだ。
「実はね、私はずっと小説を書いていたんだよ」と。
コメント
旦那さんの一族が素敵ですね。芸術系の職業を目指そうとすると、やめておけと、夢を阻むのが一般家庭だと、思います。
そして、秋田柴子さんの、このお話のエンディングが、また、素敵でした。
>>氷堂さん
ありがとうございます!お題からはだいぶ外れてしまいましたが。
夫の一族……芸術系であるがゆえに、何と申しますか、エキセントリックな方々も多く……(笑)
あまりに対照的な家系で、毎回「???」となっております。
今ねえ、エッセイの名手と言われる向田邦子さんのエッセイ読んでるものだから、ちょっと感化されちゃってるのかもしれません……なんて、あまりにおこがましいですが(笑)
なるほど、なるほど
٩(๑>∀<๑)۶
noteにも書いたから、遊びに来てください~