制作中のSF小説のプロローグ

N.G.C.0245 4月18日 ザナ州 バースク星系第三惑星 バースクⅢ

「本番三秒前!3、2、 。」
「こんばんは」
アナウンサーの女性がメインカメラに向かって一礼する。
「時刻は共通時19時を回りました。4月18日、バースク中央ニュース(BCN)のお時間です。」
一拍おいて、
「本日は、メインリポーターの重村浩一がお休みのため、司会はわたくし、ニーナ・シャクルトンが務めさせていただきます。精一杯頑張ります。どうぞ、よろしくお願いいたします。」
ニーナはもう一度、重村に教わった「敬礼」というものをして見せた。腰の角度は30度、完璧だ。と彼女は思った。
「本日のBCNは、国際情勢特集という事で、普段の出演者の皆さまに加え、専門家の方をゲストに招いた2時間拡大版で、我々の住む銀河の今と、これからについてお送りさせていただきます。まずは、本日のゲストをご紹介します。軍事研究家で、国際情勢の専門家、村本日右先生です。」
3カメがコメンテーター用の丸いU字テーブルの左端に座る男を映す。中肉中背のその男は、生え際が耳の真上まで後退しており、メガネの下のしわには疲労が感じられる。きつく瞼を閉じた姿からは、見る者にどことなく、座して己の番を待つ老師の姿を想起させた。
「村本先生はバルぺデン大学卒業後、フリーの軍事ライターとして活動しており、現在は…、大学やシンポジウムにて…、講義を……」
そこまで話して、ニーナの声に不安の色が乗った。村本が動かないのだ。微動だにせず、喋ることも、相槌を打つこともなく、ただ黙して目を閉じている。
「えっと、あの…?」
ニーナが村本の安否を確かめようと近づいたとき、満を持したか、カッと目を見開いた。
驚くニーナやどよめくスタッフたちを見渡し、ゆっくりと口を開く。
「あぁ……寝てた」
ニーナが気の抜けた声で確認する。
「ね、寝てた?」
「これは失敬、なにぶん昨日は寝つきが悪かったもので。いや申し訳ない」
そう言いながら、彼は自分の危うい生え際を撫でた。
「とんだオッサンだな!あんたホントに二時間持つの?アンダーソンのモバイルバーニアの方が長持ちしそうだけど。」
そう悪態をつく、青のスーツに身を包んだ背の高いコメンテーターをニーナがなだめる。
「ちょっとベッカーさん。えぇ改めましてご紹介します。コメンテーターでタレントの、ベッカー・マックスバットさんです。」
「どうも、こんなオヤジの話を二時間も聞いて起きてられるかわからないけど、まぁヨロシクね」
「ベッカーさん」
「フン」
そう言って、手を頭の後ろで組んでわざとらしく椅子にもたれかけて見せた。
スラッと伸びた背筋と茶色のアップバングからは、まだ年若いベンチャーな青さのそれがみてとれた。
その一連の様子を見ていたスタッフがディレクターに声をかける。
「彼、飛ばしてますね。」
「まぁ、もとからそういうキャラで売っとるからな。最近仕事も減ってるし、焦ってんだろう。」
「毒舌は、長持ちしませんからねぇ。」
ようやくひと段落したスタジオで、出演者の紹介を終えたニーナが、メインのカメラの方に向き直る。
「では早速ですが、本日は国際情勢特集という事で、まずは我々の生きる銀河の歴史について、改めて解説して頂こうと思います。では、村本先生、よろしくお願いします。」
「うん」
そうひとこと吐き出して村本は前のめりになり、とろんとした目で宙を睨みながら語り始めた。
「まずそもそもの話として、国際情勢という言葉自体、ここ30年余りで再び日の目を見た言葉なわけです。旧合衆国が誕生してからの約80年間、この銀河において「国家」の名で呼ばれる組織は合衆国のみだったわけで、そこに国家間のなんとやらは存在しなかった。国際情勢という言葉は、外宇宙や、地球でのみ使われていたわけです。」
ニーナが相槌を打つ。
「それが、公国統一後の今、再び広く使われだしたと?」
村本は大きく頷く。
「つまりは、国際情勢という言葉自体、この銀河ではイレギュラーな言葉なんですな。」
それまで大人しくしていたベッカーが口をはさむ。
「前口上が長いな。つまり何が言いたいのさ」
「そう焦るんじゃない。つまるところ、つまりだね…。あれ、私は何を言いたいんだっけか」
我慢ならない様子でベッカーが机を叩く。
「知らないよ!勝手に寝るわ喋るわ、アンタいったい何しに来たのさ!」
慌ててニーナが仲裁に入る。
「落ち着いてください!で、では村本先生、まず現在の情勢の根幹にある、公国統一について、簡単にご説明いただいてもよろしいですか?」
「うん、そうだな、それがいい。公国統一だな…、あれはまぁ、ざっくり言うと軍事クーデターなわけですな。向こうでどう評価されているかわからんが、少なくともこちらでは、そういう認識でしょう。ではそもそもどうしてそんなクーデターが起きたのか。ご存じかね。」
ベッカーが返す。
「そんなの誰でも知ってるさ。主義戦争の所為だろう。」
「その通り。「反国家主義同盟(ANA)」と呼ばれる一部の貴族とメガコーポの徒党が、己が利益のために起こした戦争です。」
そこにニーナが付け加える。
「確か、215年の連邦議会による星間貿易の関税率引き上げの施行と、メガコーポ解体案の議会提出を発端とした戦争でしたね?」
「そうです。今思えば、もともと旧合衆国は銀河開拓時代に力を付けた貴族やらメガコーポを際限なく取り込んで出来た国家だったわけですから、そういう連中を怒らせたとあっては、あれは必至の結果だったと思いますがね。」
「まったく、身勝手な連中だよ。」
「そうとも言い切れん。彼らはもとより、合衆国に組み込まれるのを嫌がっていたからね。そして、そんな時勢を利用しようとする男が現れた。現ヴェラデル銀河連合公国大公、ウーヴェ・フォン・アインホルンです。」
中央のホロプロジェクターにその男の顔が現れる。ドイツ系の彫りの深い顔立ちに、それに見合う美しい金髪。如何にも「貴族」といった風貌であった。
「随分若いな」
とベッカー。
「こちらは、主義戦争当時の、ウーヴェ大公が合衆国副財務大臣だった頃の写真になります。」
ニーナが補足する。
「彼の生まれ故郷であるカルダナ州では当時、先に述べたANAの前身のような連中がよくデモを起こしていた。彼はカルダナのミュンヘンⅡという惑星を持っていたアインホルン家の4代目でね、当主としては、自分の庭で我儘をする連中は、相当な厄介だったでしょう。」
「じゃあウーヴェは、そういう連中に嫌気が差してたわけだ」
ベッカーが首を突っ込む。
「いや、どちらかというよりかは、嫌気が差していたのは政府の方にだ。当時の合衆国政府は、貴族やメガコーポとの間に波風を立てたくなかったから、そういうデモも適当にいなしていたのだが、それがウーヴェには「生温い」と取られたわけです。」
「たしか、副財務大臣に就任した後も、その趣旨の演説を行っていましたね。」
ニーナの言葉とともに、奥のモニターにウーヴェが演説を行う映像が映し出される。そこには、壇上を囲む多数の熱烈な支持者の姿も映っていた。
「そして、ウーヴェが強硬的な手段に出たもう一つの理由としては、彼が熱心なパックス・マグニカ主義者だったことが挙げられるでしょう。」
「なんだい、そのなんとかマグニカってのは。」
「パックス・マグニカとは旧世紀、つまり西暦の後半に台頭していた思想で、「大国による小国間問題への積極的な介入、解決」を目指していました。現在銀河に存在する貴族のほとんどは、このパックス・マグニカの時の戦争特需で富を蓄えた財団や財閥がルーツとなっています。もちろん、アインホルン家もその内の一つですから、ウーヴェがパックス・マグニカ主義者になったのも必然でしょう。そしてこれは元を辿ると、「力による安定」というフランスのある政治家の理念が元となっています。パックス・マグニカは、それに名前と小難しい定義を取って付けただけに過ぎん。」
「しかし、当時は力による安定という理念だけが独り歩きしていたと聞きます。」
「あるいは、ウーヴェがそう持って行ったのかもしれんがね。当時の人間に、大国だの小国だのとまくし立てても、ピンとくる人間は一握りだった筈だ。まぁ何はともあれ、強行的な急進派は、あの頃は非常に重宝されていたわけです。」
村本は手元の水をグイと飲み干して、また話を続ける。
「そして戦争が合衆国有利に傾き、ANAとの停戦交渉が始まると、ウーヴェは軍務省の交渉団としてANAに接近したのだが、これがいけなかった」
「おいおい待てって、軍務省ってなんだよ。そんなのウチにもRRFにも、ましてや公国の軍事委員会にだってそんなの無いぜ。」
ベッカーがまた首を突っ込む。話し足りない開けっぱの口をそのままに、村本は投げかけられた質問にシフトする。
「軍務省とは、ウーヴェが戦争の際、戦時の時限立法として制定させた武力事態即応法に基づき設立された、財務省と国防省の合併組織だよ。ハイスクールの歴史で習っていたと思ったが、どうやらベッカー君は日向の席だったようだね。どおりで背が高いのか」
スタジオ全体がこそばゆい笑いに包まれる。
「うるさいなぁ、悪かったね背が高くてっ。」
そう言って、ベッカーは不満げに深く椅子に座り直した。紅潮した顔が子供らしい。
それを見届けたニーナが肩をクスクス跳ねさせながら、村本に聞く。
「では本筋に戻って。その交渉を利用したウーヴェはそこで、合衆国を転覆させる計画を画策したのですね?」
「そうだ。ウーヴェはANAの各幹部連中に、クーデター後樹立させる新国家での政府高官の席を確約し、ANAを抱きこんだわけです。この時に抱きこんだ幹部の一部が、現在の公国の経済委員会の幹部にあたります。」
「でもそれだけじゃ合衆国をひっくり返せやしないだろ。その頃には合衆国が有利になってたわけだし。」
さきほどの狼狽が嘘のように食ってかかるベッカーを見て、意外にタフなのだなと村本は思った。あるいは、仕事の為か。
「いいところを突くな。そう、それだけじゃクーデターは起こせない、計画を完璧にするには、ウーヴェが全軍を掌握する必要があった。つまり、財務大臣になる必要があったのです。」
すかさずニーナがホロプロジェクターの資料と共に、補足を入れる。
「当時の軍務省発足の際の規定書には、財務・国防両大臣、あるいは、なんらかの理由で一方の大臣不在の際には財務・国防大臣いずれかに、軍の統帥権を与える。と記されていました。」
「武力事態即応法がウーヴェの陰謀だと言われる所以ですな。ウーヴェはこれを利用する為に、ANAとの会合に向かう両大臣を暗殺したのち、自分が財務大臣に就任した後で副国防大臣を失脚させ、ウーヴェひとりが軍を掌握する状態を作り上げたのです。」
モニターには、当時の両大臣を乗せたシャトルが爆発した映像や、副国防大臣失脚のニュース、ウーヴェの財務大臣就任演説などが映し出される。
「そして、これらの準備を整えて、彼はのちに公国統一と呼ばれる政変クーデター「ブリキの鳩作戦」を実行に移したのです。」
村本の話がひと段落したとき、また例の横槍が飛んできた。
「ちょっと出来すぎじゃないの?」
ベッカーである。
「ほう、そう思うかね。」
「誰だって思うよ、そんなの。全部がうまく行き過ぎだよ。特にウーヴェがその、統帥権だっけ?それを手に入れるまでの流れとか。」
「では君は、不幸にもシャトルに居合わせて片腕を無くし、しかしそれでもと国民のために立ち上がった英雄に、石を投げたかね」
「え?」
「ウーヴェは両大臣の暗殺の際、自身の潔白を証明するために自らも交渉団のシャトルに乗り込んでいた。そして、世間は彼の目論見通り、見事に英雄の帰還を歓迎した。
シャトル爆破の濡れ衣も副国防大臣に着せ、自身の支持固めを確固たるものにしたのさ。」
「待てよ、どうやって副国防大臣に罪を着せたのさ」
「偽の作戦書類を作ることくらい造作もないだろう。」
「そんな…じゃあ、ANAはどうなのさ、ANAの艦隊は降伏を偽って首都に軌道爆撃をしたんだぞ!」
「そこも織り込み済みだったんだろう。それをいち早く迎撃することによって、国防軍、延いてはウーヴェの支持を底上げし、現政権の無能さを演出した。そのあとは大統領官邸を襲って、ANAを従えて、敗者にも寛容な、優しい独裁者の出来上がりだ。」
「だから、そこが出来過ぎだってんのさ!そこまで国民もバカじゃないだろう!?いくら人気者だからって、政府を襲って、昨日の敵と仲良くするようなヤツをリーダーとして受け入れられるかってんだ!」
「もちろん、受け入れなかったものもいたさ。君がそう思うのも無理はない、何せ君は、その受け入れられなかった者たちの国に住む国民なのだからね。だが、当時の国民感情を「誰でもいいからどうにかして」という方向にもっていったのは、ウーヴェの巧みな戦略だったと評する他に無いと考えるがね。」
「なんだとっ」
「そうしてっ、公国統一の際に公国を離脱した勢力が、私たちの住む第二銀河合衆国になったんですね。」
これ以上のヒートアップを止めたいニーナが間に割って入る。柄にもなく力んだ”そ”が、ニーナの顔を時間差で赤く染めた。
「まぁ、そうですな。しかし第二合衆国は公国の独裁的な外見的立憲主義を批判こそしていましたが、圧倒的な戦力差を前に、この二十数年は物怖じをしていました。」
「フン、情けねぇ。RRFを見習ってほしいよ。」
ベッカーの憎まれ口とともに、RRF、共和反乱軍の映像がモニターに映し出される。
「この二十数年の停滞の間、公国との戦いは、このRRFが受け持っていました。彼らは発足当時はゲリラ的な抗議活動や武力デモを起こす程度でしたが、次第に規模が膨れ上がり、マリアの戦いで勝利を掴んで以降は、国防軍とも同盟関係にあります。」
「マリアの戦いは、合衆国内の応戦論の火付け役となった事件でした。」
「その通りです。彼らRRFが保有する"ブラックホーク"マルチスターファイターやドレッドノート級戦艦は、応戦派のエビデンスとしては十分すぎるものでした。」
「決め手としては、やはりミールズ・ライパー ユナイテッド銀行グループ(MRUH)のパトロン表明だったのでしょうか。」
「でしょうな、MRUHは業界最大手の銀行グループです。これがパトロンに付いたというのは、合衆国がパトロンになったのと同義とされました。そうなれば、第二合衆国政府としては、乗っかる他になかったんでしょうなぁ。」
「そして現在の、公国対第二合衆国の構図となったわけですね。」
「歴史だねぇ」
知ったような口を聞くベッカーに笑いがこみあげてくるが、なんとかこらえて
「では、現在の国際情勢に至った経緯をおさらいしたところで、CMのあとは、国際情勢のこれからについて、討論を行っていきたいと思います。改めて、村本先生、本日はよろしくお願いします。」
「うん」
そこまで撮り終えたカメラが上昇していき、引きの映像を撮る。カメラが止まると
「CM入ります!スタートは5分後になりまぁす!」
ディレクターの満足気な一言で、各スタッフがスタジオに流れ込んだ。
このとき、スタジオの誰もが気付いていなかったが、ベッカーはこの番組に手ごたえと、言葉に出来ない興奮を覚えていた。U字テーブルの、ホロプロジェクターを挟んだ向かいに座るあのオッサンの講義に、金を払ってでも聞きたいという、ある種の尊敬が芽生えていたのだ。
(面白い二時間になるぞ…)
彼は心の中でひとりそう呟いていた。
一方その頃、ベッカーの向かいに座る村本は、ぞろぞろとスタッフが入り込むスタジオの中で、最初に語ろうとした内容をゆっくりと思い出していた。
村本が言いたかったのは、至極単純なことだった。国際情勢がイレギュラーになるこの世界において、逆説的に導き出される一つの事実。

つまりは、この銀河に「国家」は、一つしか存在してはならないということだった。

「お疲れ様だな、ベッカー君」
楽屋で水のボトルを開けていたベッカーの肩をプロデューサーがポンと叩く。
「あぁ、お疲れ様です。」
「今日の君、張り切ってたね。おかげで良い画がとれたよ。」
プロデューサーの目が満足げにキラキラと輝いている。あの時の手ごたえは空振りではなかったようだ。
「ありがとうございます、あのセンセイにも、礼を言わないとですね。」
「なぁに、君の実力さ。最近調子が悪いと思ってたが、取り戻したみたいだね。」
「ハハ、まぁ、そんなところですかね」
確かにここ最近のベッカーは仕事にマンネリを覚えていた。今日のことは、その反動もあるとベッカーは思った。
「で、どう?このあと」
そういいながらプロデューサーは親指を立てて、口元でクイっと飲む仕草をして見せた。
「え、あぁ」
「ニーナちゃんも、来るよ。」
プロデューサーのいたずらな提案にベッカーは一瞬考えこんだが
「いや、今日は遠慮させてもらいます。誕生日なんですよ、こいつの」
そういって、プロデューサーに返すように小指を立てて見せる。
「あぁそうか、彼女さんいたもんな」
「はい、なので」
「そうか、なら、こいつはいいプレゼントになるな。」
プロデューサーが一枚のホロプリントをベッカーに渡す。
「これは?」
「ゴールデンのコメディーショーだ。君も知ってるだろう?今日の君を見て、俺から推薦しといた。来月から、頑張れよ」
ベッカーは背中にバンと衝撃を受けた気がしたが、目の前のゴールデンへの招待状を前に、全く気にもならなかった。

「もしもし?俺さ、あぁ今向かってるよ。そんなことより聞いてくれ!ゴールデンが決まった!ゴールデンタイムだよ!今日のニュース見てたろ?あれを見てたプロデューサーが推薦してくれたってさ!来月から忙しくなるぞ!」
オープンカーの上でベッカーは有頂天になっていた。出来ることなら、車の上でシャンパンでも開けたい気分だった。
「あぁ…あぁ、そうだよ。とりあえず切るな、信号が青になるからさ。」
そう言い切る前に電話を切って、お気に入りのM&W(ミルキーウェスタン)をかけてリズムに乗る。
「ひゃっほう!」
アクセルを強く踏みなおす。速度計の針が、強風にあおられて戻れないヤシの木みたいにのけぞっていく。今のベッカーを止めることなど、どうあがいてもできない。
「ゴールデンだぞぉ!」
またアクセルを踏みなおす。珍しく一台もいない大通りで、車の速度は130キロに届きそうだった。星系府庁舎を通り過ぎたとき、そんな一台もいない大通りに、だからこそひときわ目立つ、赤と青の回転灯が現れた。アクセルを踏みすぎたようだ。
「おっと」
急にしおらしくなったベッカーの車は、誘導されるまま道の脇で停車する。
「ずいぶんなドライブだな、レースから抜け出してきたのか?」
「へへ、まぁ、そんなところかな」
パトカーから降りてきたデブの警官はベッカーの車にもたれかかって運転席をのぞき込む。車が少し傾いた。
「ったく仕事増やしやがって…お?アンタ見たことあるな、確かさっきも…」
「出てましたよ、BCNにね」
「やっぱり!あんた、あのハゲの先生にからかわれてたにーちゃんじゃねぇか。」
ベッカーはむっとして言い返した。
「うるさいなぁ、背が高いからって居眠りはしてませんよ。」
「けど、スピード違反はしたな。」
ベッカーはハッとして、目の前のデブが警官だったことを思い出した。
「まぁ、それは…なぁお巡りさん、見逃してくんないかな。今日さ、コレの誕生日なんだよ」
ベッカーはプロデューサーにして見せたように小指を立てた。
「ん?なんだにーちゃん、小指と付き合ってんのか」
つくづく腹の立つ警官だ。
「彼女ですよ。ねぇどうにかなりませんかね。仕事が増えたのはこっちも同じなんですよ。それでちょっと、浮かれてたと言いますか」
「浮かれて星系府庁舎の前で128キロ出すなんざ聞いたことねぇぞ」
鼻で笑いながら警官が返す。
「チッ、ちょっとは大目に見てくださいよ…」
そういって天を仰いだベッカーの目に、一際大きな、細長い六角形の黒い雲が飛び込んできた。一つではない。四つくらいはある。珍しい雲だなとのんきなことを思った次の瞬間、ベッカーはそれが四つではなく。四隻であることに気づいた。
雲の腹がぴかっと二、三十光った次の瞬間、ベッカーとデブの警官はテルミド粒子砲の直撃を受けて蒸発した。ベッカーは冷や汗をかいたような気もするが、今となっては、知らない。

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